イタリア史上、最も才能ある選手として名高いフランチェスコ・トッティ。
フィジカルの強さもさることながら、チップキックや絶妙なワンタッチでのアシスト、狙いすましたミドルシュートなど、どんなプレーでも高い次元でプレーするイタリアのレジェンドです。
ユース時代から一貫してASローマ一筋のトッティは、引退後も「ローマを離れることは死ぬようなものだ」と強いローマ愛を語っています。
ASローマで試合をコントロールする、攻撃的MFの役割を長年にわたり務めてきたイタリア伝説の10番トッティ。偉大な彼の功績を見ていきたいと思います。
フランチェスコ・トッティ 基本情報
名 前 | フランチェスコ・トッティ(Francesce Totti) |
出 身 | イタリア・ラツィオ州 ローマ県ローマ出身 |
生年月日 | 1976年9月27日生まれ |
小さな頃から年上の子どもたちに交じってサッカーを楽しんでいたというトッティ。
家族全員が熱烈なローマファンであったことから、週末には必ず家族でスタディオ・オリンピコ(ASローマ、SSラツィオのホームスタジアム)へサッカー観戦へ訪れていたというサッカー一家に生まれ育っています。
1989年にローマのユースチームへ参加しますが、その前にはACミランのユースからもスカウトを受けていました。しかしトッティをローマに残すために家族が拒否をしたためローマのユースチームへ入団。
当時13歳でローマのユースチームへ入団したトッティですが、その3年後の16歳のときにはトップチームデビューを果たしています。しかも翌年からはASローマのレギュラーに定着して結果を残し続けて才能を認められました。
フランチェスコ・トッティ クラブ実績
16歳でASローマトップチームでのデビューから引退まで、生涯ASローマを貫き通したトッティですが、プロのキャリア初期に一度だけレンタル移籍が噂された時期がありました。
それは1996-97シーズンのこと。
監督と反りが合わず出場機会も減ってしまい、レンタル移籍寸前まで話が進んでいたんですね。しかし直前でこの話が破断となりトッティはローマへ残留します。
その後1997-98シーズンからは左のウイングとして起用され、縦の突破力、ゲームメイクなどASローマ内で大きな役割を背負うようになりました。同年には若干22歳で背番号10を背負うなど、ASローマとイタリアサッカーを代表する選手へと成長を遂げています。
トッティ黄金期には、トッティを中心としたチーム作りが行われ、トッティのパスセンスやゲームメイクの能力が存分に生かされると、セリエA最優秀選手に選ばれるなど結果を残し続けました。
また2005-06シーズンからはCFとして起用されるようになりました。トッティは最前線のCFというポジションながら、中盤のビルドアップに度々参加すると、攻撃的MFやウイングの走り込むスペースを作ることに成功しています。
いわゆる「偽9番」と呼ばれる、ゼロトップの役割を生み出したのはこのトッティなのです。
キャリア後半では再びMFへ戻り、チームの得点を演出するなどフィールドで輝き続けたトッティ。
数々の記録を打ち立てて、名実共にイタリアサッカー界のレジェンドとして後世まで名を馳せることになりました。
年 | 国 | クラブ名 | 出場 | 得点 | チームタイトル | 個人タイトル |
1992-93 | イタリア | ASローマ | 2 | 0 | ||
1993-94 | イタリア | ASローマ | 10 | 0 | ||
1994-95 | イタリア | ASローマ | 25 | 7 | ||
1995-96 | イタリア | ASローマ | 36 | 4 | ||
1996-97 | イタリア | ASローマ | 30 | 5 | UEFA U-21欧州選手権 | |
1997-98 | イタリア | ASローマ | 36 | 14 | 地中海競技大会(U-23) | |
1998-99 | イタリア | ASローマ | 42 | 16 | FIFA100 セリエA最優秀若手選手 | |
1999-00 | イタリア | ASローマ | 34 | 8 | イタリア最優秀選手 セリエA最優秀選手 EURO2000大会選定優秀選手 | |
2000-01 | イタリア | ASローマ | 35 | 16 | セリエA | イタリア最優秀選手 ヨーロピアン・スポーツ・マガジン選定ベストイレブン |
2001-02 | イタリア | ASローマ | 36 | 12 | イタリア・スーパーカップ | |
2002-03 | イタリア | ASローマ | 35 | 20 | イタリア最優秀選手 セリエA最優秀選手 | |
2003-04 | イタリア | ASローマ | 32 | 20 | イタリア最優秀選手 ヨーロピアン・スポーツ・マガジン選定ベストイレブン | |
2004-05 | イタリア | ASローマ | 40 | 16 | ||
2005-06 | イタリア | ASローマ | 29 | 17 | ||
2006-07 | イタリア | ASローマ | 50 | 32 | コッパ・イタリア FIFAワールドカップ | イタリア最優秀選手 ヨーロピアン・スポーツ・マガジン選定ベストイレブン FIFAワールドカップ・オールスターチーム(優秀選手賞) セリエA得点王 ゴールデンブーツ |
2007-08 | イタリア | ASローマ | 35 | 18 | コッパ・イタリア イタリア・スーパーカップ | セリエAフェアプレー賞 |
2008-09 | イタリア | ASローマ | 32 | 15 | ||
2009-10 | イタリア | ASローマ | 31 | 25 | ||
2010-11 | イタリア | ASローマ | 40 | 17 | ゴールデンフット賞 | |
2011-12 | イタリア | ASローマ | 31 | 8 | ||
2012-13 | イタリア | ASローマ | 37 | 12 | ||
2013-14 | イタリア | ASローマ | 29 | 8 | ||
2014-15 | イタリア | ASローマ | 36 | 10 | ||
2015-16 | イタリア | ASローマ | 15 | 5 | ||
2016-17 | イタリア | ASローマ | 28 | 3 | UEFA会長賞 | |
通算 | 786 | 307 |
フランチェスコ・トッティ 代表実績
年 | 出場 | 得点 |
1998 | 3 | 0 |
1999 | 6 | 0 |
2000 | 12 | 4 |
2001 | 6 | 1 |
2002 | 6 | 0 |
2003 | 5 | 1 |
2004 | 6 | 2 |
2005 | 5 | 0 |
2006 | 9 | 1 |
通算 | 58 | 9 |
FIFAとUEFAの世代別の大会で活躍していたトッティは、若い頃から国際的に注目を集める選手でした。
1998年にはA代表デビューを飾っています。A代表初ゴールは2000年4月26日のポルトガルとの親善試合。
動画はEURO2000で対オランダ。3分43秒のところで、オランダ伝説のGKファン・デル・サールとの対決をチップキックでPKを決めています。ふわりと浮かんだキックはまさに芸術と言えるでしょう。
なんでもできる万能型のMFトッティ
トッティと言えばどんなプレーを思い浮かべるでしょうか。
巧みなボールコントロール、ピンポイントでチャンスを演出するスルーパス。強いチャージにも負けない強靭なフィジカル。強烈なミドルシュート、ゲームメイクやチームを統率する能力。
どれをとっても超一級品で、なんでもできる選手という評価なのも頷けるレジェンドです。
個人タイトルの数を見ると、たくさんの賞を獲得しているわけではありませんが「フィジカル、テクニック、クオリティ、どれをとっても世界のトッププレイヤーに引けを取らないイタリア史上最高の10番だ」と称賛されています。
イタリア史上最高の10番!
ノールックパスや早いボールにぴったりアジャストするサッカーセンス。どれをとっても「美しい」という形容がぴったりのフランチェスコ・トッティ。
トッティはゴールパフォーマンスが独特で、右手の親指を加える「おしゃぶり」のジャスチャーで知る人もいるかもしれませんね。これには2つの意味があって、トッティ自身の子どもに向けたもの、もう1つはメディアに向けて「黙ってろ」という強烈なメッセージも込められているんだとか。
メディアも相手サポーターもプレーと実力で黙らせてきたトッティ。後にも先にも、トッティを超える選手は現れないのかもしれませんね。
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サッカーレジェンドライブラリー№7:フランチェスコ・トッティへのコメント