日本では指導者としてもお馴染みで、Jリーグの黎明期から名古屋グランパスエイトで活躍してきたドラガン・ストイコビッチ。
その巧みなボールコントロールと鋭いドリブル、ピンポイントでチャンスメイクする華麗なパスワークなど、東欧のマラドーナと呼ばれたことも。
パワーとスピードで圧倒するタイプの選手ではなく、技術で試合を作るテクニシャンです。
時代に翻弄された過去を持ちながらも、サッカーで輝き続けたストイコビッチの戦績を見ていきましょう。
ストイコビッチ 基本情報
名前 |
ドラガン・ストイコビッチ |
---|---|
出身 | セルビア・ニシュ出身(旧ユーゴスラビア) |
生年月日 | 1965年3月3日生 |
旧ユーゴスラビア出身のストイコビッチは、3歳の頃から路上でサッカーを始めたと言われています。
幼少期の頃からすでに実力はトップクラスだったのでしょう。
14歳でFKラドニツキ・ニシュの下部組織へ入団し、16歳になるとトップチームへ昇格を果たします。
ストイコビッチ クラブ実績
ラドニツキ・ニシュへの入団から10年はユーゴスラビア国内リーグで活躍していますね。
当時のユーゴスラビアは26歳以下の選手が海外へ移籍することを禁止していたため、ユーゴでのキャリアが長くなったのでしょう。(ただしその後特例で移籍が認められた。)
このときラドニツキ・ニシュからユーゴの強豪クラブであるレッドスター・ベオグラードで巨額の移籍金+レギュラークラスの選手5人とトレード。
成績を見ても圧倒的な活躍が手に取るようにわかります。
その後ヨーロッパへ活躍の場を移しますが、度重なるケガやチームの八百長問題、戦術の確執など様々な要因で日本のJリーグへ。
ストイコビッチはJリーグでも個人タイトル、チームタイトルを多数獲得しています。
ドラガン・ストイコビッチ経歴 | |
---|---|
1981-82年 | |
国 | ユーゴスラビア |
所属クラブ名 | ラドニツキ・ニシュ |
出場 | 1試合 |
得点 | 0得点 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | – |
1982-83年 | |
国 | ユーゴスラビア |
所属クラブ名 | ラドニツキ・ニシュ |
出場 | 17試合 |
得点 | 1得点 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | – |
1983-84年 | |
国 | ユーゴスラビア |
所属クラブ名 | ラドニツキ・ニシュ |
出場 | 33試合 |
得点 | 5得点 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | – |
1985-86年 | |
国 | ユーゴスラビア |
所属クラブ名 | ラドニツキ・ニシュ |
出場 | 25試合 |
得点 | 4得点 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | – |
1986-87年 | |
国 | ユーゴスラビア |
所属クラブ名 | レッドスター・ベオグラード |
出場 | 39試合 |
得点 | 17得点 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | – |
1987-88年 | |
国 | ユーゴスラビア |
所属クラブ名 | レッドスター・ベオグラード |
出場 | 31試合 |
得点 | 16得点 |
チームタイトル | プルヴァ・リーガ 優勝 |
個人人タイトル | プルヴァ・リーガ 最優秀選手賞 |
1988-89年 | |
国 | ユーゴスラビア |
所属クラブ名 | レッドスター・ベオグラード |
出場 | 33試合 |
得点 | |
チームタイトル | – |
個人タイトル | プルヴァ・リーガ 最優秀選手賞 |
1989-90年 | |
国 | ユーゴスラビア |
所属クラブ名 | レッドスター・ベオグラード |
出場 | 37試合 |
得点 | 10得点 |
チームタイトル | プルヴァ・リーガ 優勝 ユーゴスラブカップ 優勝 |
個人タイトル | プルヴァ・リーガ 最優秀選手賞 1990FIFAワールドカップベストイレブン レッドスター・ベオグラードの5人目の星人選出 |
1990-91年 | |
国 | フランス |
所属クラブ名 | マルセイユ |
出場 | 18試合 |
得点 | 10得点 |
チームタイトル | ディヴィジョン・アン 優勝 |
個人タイトル | – |
1991-92年 | |
国 | イタリア |
所属クラブ名 | エラス・ヴェローナ |
出場 | 21試合 |
得点 | 3得点 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | – |
1992-93年 | |
国 | フランス |
所属クラブ名 | マルセイユ |
出場 | 0試合 |
得点 | 0得点 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | – |
1993-94年 | |
国 | フランス |
所属クラブ名 | マルセイユ |
出場 | 19試合 |
得点 | 5得点 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | – |
1994年 | |
国 | 日本 |
所属クラブ名 | 名古屋グランパスエイト |
出場 | 17試合 |
得点 | 4得点 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | – |
1995年 | |
国 | 日本 |
所属クラブ名 | 名古屋グランパスエイト |
出場 | 45試合 |
得点 | 17得点 |
チームタイトル | 天皇杯 優勝 |
個人タイトル | Jリーグベストイレブン Jリーグ最優秀選手賞 日本年間最優秀選手賞 |
1996年 | |
国 | 日本 |
所属クラブ名 | 名古屋グランパスエイト |
出場 | 34試合 |
得点 | 16得点 |
チームタイトル | FUJI XEROX SUPER CUP 優勝 |
個人タイトル | Jリーグベストイレブン Jリーグチャンピオンシップ最優秀選手 Jリーグオールスターサッカー最優秀選手 |
1997年 | |
国 | 日本 |
所属クラブ名 | 名古屋グランパスエイト |
出場 | 27試合 |
得点 | 3得点 |
チームタイトル | サンワバンクカップ優勝 |
個人タイトル | – |
1998年 | |
国 | 日本 |
所属クラブ名 | 名古屋グランパスエイト |
出場 | 33試合 |
得点 | 8得点 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | Jリーグオールスターサッカー最優秀選手 |
1999年 | |
国 | 日本 |
所属クラブ名 | 名古屋グランパスエイト |
出場 | 34試合 |
得点 | 15得点 |
チームタイトル | 天皇杯優勝 |
個人タイトル | Jリーグベストイレブン |
2000年 | |
国 | 日本 |
所属クラブ名 | 名古屋グランパスエイト |
出場 | 38試合 |
得点 | 10得点 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | Jリーグオールスターサッカー最優秀選手 |
2001年 | |
国 | 日本 |
所属クラブ名 | 名古屋グランパスエイト |
出場 | 17試合 |
得点 | 3得点 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | Jリーグ功労選手賞 |
通算 | |
出場 | 239試合 |
得点 | 79得点 |
ストイコビッチ 代表実績
ストイコビッチの代表実績は1984年から2000年まで。
しかし1992年、ストイコビッチ率いるユーゴスラビア代表はUEFA EURO ’92を7勝1敗という圧倒的な強さで予選を勝ち進みました。
しかしユーゴスラビアからクロアチアが独立宣言。
するとユーゴスラビア代表選手数名がクロアチア国籍を取得してチームからいなくなり、さらにチームは内戦に対する制裁でUEFA EURO ’92の出場停止処分を受けてしまいました。
政治、内戦などに翻弄されたストイコビッチが、悲運の天才と称される所以です。
年 | 大会名 | チーム成績 | 個人成績 |
---|---|---|---|
1984 | UEFA欧州選手権1984 | – | – |
1984 | ロサンゼルスオリンピック | 銅メダル | – |
1988 | ソウルオリンピック | 優勝 | – |
1990 | 1990FIFAワールドカップ | ベスト8 | ベストイレブン選出 |
1998 | 1998FIFAワールドカップ | ベスト16 | – |
2000 | UEFA EURO 2020 | ベスト8 | – |
主な国際試合の結果は以下の通りです。
年 | 試合数 | 得点 | 主な試合、タイトルなど |
---|---|---|---|
1983 | 1 | 0 | – |
1984 | 5 | 2 | UEFA欧州選手権1984 ロサンゼルスオリンピック 銅メダル |
1985 | 2 | 0 | – |
1986 | 0 | 0 | – |
1987 | 5 | 2 | – |
1988 | 6 | 2 | ソウルオリンピック 優勝 |
1989 | 11 | 1 | – |
1990 | 9 | 2 | 1990FIFAワールドカップ ベスト8(ベストイレブン選出) |
1991 | 1 | 0 | – |
1992 | 1 | 0 | – |
1994 | 2 | 0 | – |
1995 | 3 | 0 | – |
1996 | 8 | 3 | – |
1997 | 7 | 0 | – |
1998 | 10 | 1 | 1998FIFAワールドカップ ベスト16 |
1999 | 4 | 2 | – |
2000 | 7 | 0 | UEFA EURO2020 ベスト8 |
2001 | 2 | 0 | – |
通算成績 | 84 | 15 |
試合を作り決定的なゴールシーンを演出するレジェンド
ストイコビッチと言えば、雨が降りしきるピッチでリフティングをしながらドリブルをする、という伝説のプレーを覚えている人も多いでしょう。
時代を超えて語り継がれているプレーですが、他のゴールやアシストを見ても、ドリブルやパス回し、フリーキックなど美しいプレーの数々はまさにレジェンド。
時代に翻弄された悲運の天才、ピクシーことストイコビッチの紹介でした。