強いプレッシャーや激しいボディコンタクトにも負けない、強靭なフィジカルとボディバランスを活かしたドリブル、代名詞である正確無比なキラーパスで日本を初めてワールドカップの舞台へと導いた立役者の中田英寿。
1998年のFIFAワールドカップの切符をかけたイラン戦で、3-2で勝利を収めた「ジョホールバルの歓喜」はあまりにも有名です。この試合で中田は、ゴールこそありませんでしたが、全ての得点シーンで決定機を作る活躍をしてくれました。当時の中田のプレーを覚えているサッカーファンも多いことでしょう。
Jリーグから海を渡り、セリエAでも活躍、日本サッカーのレベルの高さを世界に知らしめたレジェンドです。
日本が誇るサッカー界のレジェンド、中田英寿の実績などを振り返ってみたいと思います。
中田英寿 基本情報
名前 | 中田 英寿 |
出身 | 山梨県甲府市出身 |
生年月日 | 1977年1月22日生まれ |
地元のスポーツ少年団で兄の影響を受けてサッカーを始めたという中田英寿。小さな頃は兄の大きな背中を見て、サッカーをプレーしていたことでしょう。
やはり兄弟の存在は幼少期に大きな存在を与えるものです。中田のサッカーの基礎や礎は兄による影響が大きかったのではないでしょうか。中田がサッカーを続けて、徐々に頭角を現してきたのが中学生のとき。
このときはU-15に選出されましたが、その理由は技術力の高さではなく、フィジカルの強さを評価されていたようです。
その後も全ての年代において日本代表へと選出され続け、韮崎高校時代には2年生のときに全国高等学校サッカー選手権大会にも出場しています。
中田英寿 クラブ実績
高校卒業時の1995年にはJリーグ12チーム中(当時)11チームからのオファーを受けていたことから、いかに中田の能力がズバ抜けていたかが分かる逸話を残しています。
そしてベルマーレ平塚へ加入。もともとFWだったのを、周りを見るサッカーIQの高さを買われてトップ下へコンバートされています。
その後の活躍は皆さんの知る通りで、国内外のメディアから高い評価を得ています。
セリエAのペルージャへ完全移籍をした後も、最初の年にいきなり10得点を挙げるという、当時日本人の最多得点記録を樹立する活躍をしてくれました。
日本のサッカーファンからすると、ワールドカップやオリンピックなどの国際試合での活躍が記憶に強く残っています。日の丸を背負って献身的にプレーする姿は、サッカーファンのみならず日本人の心を熱くさせてくれた選手です。
動画は冒頭でも触れた「ジョホールバルの歓喜」の一戦です。
年 | 国 | クラブ名 | 出場 | 得点 | チームタイトル | 個人タイトル |
1995 |
日本 |
ベルマーレ平塚 | 34 | 10 | ||
1996 | 日本 | ベルマーレ平塚 | 44 | 4 | アジアウィナーズカップ 優勝 | |
1997 | 日本 | ベルマーレ平塚 | 30 | 4 | Jリーグベストイレブン 日本年間最優秀選手賞 アジア年間最優秀選手賞 AFC All Star Team |
|
1998 | 日本 | ベルマーレ平塚 | 12 | 3 | アジア年間最優秀選手賞 AFC All Star Team |
|
1998-99 | イタリア | ペルージャ | 33 | 10 | AFC All Star Team | |
1999-00 | イタリア | ペルージャ | 19 | 3 | ||
1999-00 | イタリア | ローマ | 18 | 3 | ||
2000-01 | イタリア | ローマ | 22 | 3 |
セリエA 優勝 |
FIFAコンフェデレーションズカップ2001 ベストイレブン FIFAコンフェデレーションズカップ2001 ブロンズボール |
2001-02 | イタリア | パルマ | 38 | 4 | コッパ・イタリア 優勝 | |
2002-03 | イタリア | パルマ | 37 | 4 | ||
2003-04 | イタリア | パルマ | 18 | 1 | FIFA100 | |
2003-04 | イタリア | ポローニャ | 17 | 2 | ||
2004-05 | イタリア | フィオレンティーナ | 23 | 0 | ||
2005-06 | イングランド | ボルトン | 32 | 1 | ||
通算 | 377 | 52 |
中田英寿 代表実績
年 | 出場 | 得点 |
1997 | 17 | 5 |
1998 | 11 | 3 |
1999 | 3 | 0 |
2000 | 4 | 0 |
2001 | 9 | 1 |
2002 | 8 | 2 |
2003 | 11 | 1 |
2004 | 2 | 0 |
2005 | 10 | 0 |
2006 | 6 | 1 |
通算 | 81 | 13 |
腕を引っ張られても激しいチャージにも倒れない中田のドリブル
中田と言えば得点を演出するパスが有名ですが、そのパスを出す前にはボールを持ってドリブルで持ち込む場面も多く見られました。
腕を引っ張られても、激しいチャージにも体勢を崩さずに当たり負けしないフィジカルの強さが垣間見えます。身長は175センチと決して大型選手ではない中田英寿。
それでも天性の体の強さとボディバランスの良さで、世界と対等に戦ってきたのです。
日本歴代最高のMFとの声も名高い中田英寿
戦況を広い視野で常に見渡し、ボールを受けてからドリブル、パス、シュートと得点につながる可能性の高いプレーを展開してきた中田は、日本歴代最高のMFとの呼び声も高く、その技術とフィジカル能力の高さはまさに伝説と言えるでしょう。
まだ若干20歳の頃のワールドカップ予選では、世界を相手に物怖じしない堂々としたプレーで日本全体を魅了してくれました。
中田の功績は、当時も今も、若い世代へと脈々と受け継がれていることでしょう。