アルゼンチンリーグでは史上最年少でのデビューを飾り、アルゼンチンの名門ボカ・ジュニアーズからヨーロッパへと渡り、ナポリではその功績から背番号10が永久欠番ともなっているディエゴ・マラドーナ。
マラドーナの母国、アルゼンチンでは「神の子」とも呼ばれるほど名実ともにサッカー界のレジェンドです。
神の子マラドーナのサッカー遍歴を見ていきたいと思います。
ディエゴ・マラドーナ 基本情報
名前 |
ディエゴ・マラドーナ |
---|---|
出身 | アルゼンチン・ブエノスアイレス州ラヌース出身 |
生年月日 | 1960年10月30日生まれ |
マラドーナの生まれはアルゼンチンの首都ブエノスアイレス。南部のラヌースという地区の出身で貧しい家に生まれています。
幼少期の頃からマラドーナはサッカーの才能を開花させて、地元では天才サッカー少年と呼ばれていたんだとか。そしてその天才少年はなんと9歳でブエノスアイレスの少年クラブチームに加入しています。
マラドーナの容姿と言えば、天然パーマのいでたちを想像する人が多いと思いますが、このころからその見た目だったようで「ベルーサ」(毛深いやつ、縮れ髪)と呼ばれていました。
この天才サッカー少年のマラドーナは、子どもの頃からすでにその片鱗を見せており、12歳のときに他クラブチームからのオファーを受けるまでに。
そしてマラドーナ13歳の頃。
なんとサッカーに専念するため学校を辞めてしまいます。サッカーに専念した甲斐あってか14歳になるとアソシアシオン・アトレティカ・アルヘンティノス・ジュニアーズのトップチームに昇格。
15歳でクラブからアパートが提供されるほどに実力をつけていきます。
1976年10月20日、マラドーナ若干15歳11か月というときにアルゼンチンリーグ最年少での初出場。その翌月にはプロ初ゴールを決めるなど数々の記録を打ち立てています。
その後アルゼンチンの1部リーグであるプリメーラ・ディビシオンでは得点王や年間最優秀選手賞に輝くなど華々しい成績を収め、22歳でバルセロナFCへ移籍しています。
ディエゴ・マラドーナ クラブ実績
子どもの頃から「天才」と称されてきたサッカー少年はいるかもしれませんが、これほどまでにセンセーショナルな活躍をしてきた選手はマラドーナを置いて他にはいないのかもしれません。
15歳でアソシアシオン・アトレティカ・アルヘンティノス・ジュニアーズでプロ初ゴールを決めて、アルゼンチンリーグでは得点王や年間最優秀選手賞などに輝く活躍。1981年には自身の熱狂的なファンであったボカ・ジュニアーズに移籍してもなおその実力は健在。
アルゼンチン最優秀サッカー選手賞を受賞しています。
その輝かしい実績を引っ提げ、ついにスペインのバルセロナFCへ移籍をします。
ただバルセロナでは、度重なる夜遊びや薬物使用疑惑、乱闘騒ぎ、フロントとの確執などにより、マラドーナの奔放な性格がうかがえる一面が表ざたになりました。しかしそのような境遇でもスペインのカップ戦、コパ・デル・レイでは決勝でレアル・マドリードに勝利を収めて優勝を手にしています。
バルセロナでの在籍はわずか2シーズンで、1984-85からはイタリアセリエAのナポリへ移籍。
実はナポリはマラドーナ加入の前年まで、残留争いを繰り返していたいわば弱小チーム。そのチームをマラドーナが押し上げ、数年後にはイタリアの国内2冠(セリエA優勝とコッパ・イタリア優勝)を達成するほどの原動力となりました。
ナポリでは「ナポリの王」とまで呼ばれて賞賛されたマラドーナですが、実は選手生活の晩年である1991年には、日本のJリーグ、名古屋グランパスエイトへの加入が内定していた時期もありました。
しかしながらJリーグ加入はマラドーナの薬物使用疑惑によって立ち消えとなってしまい、日本でのマラドーナのプレーを見ることは叶わぬ夢となってしまったんですね。
マラドーナは実働18年間のプロ生活の中で、アルゼンチンリーグやセリエAの優勝。また個人タイトルではオンズドールや得点王などを何度も手にし、サッカー史に名を残す伝説のプレーヤーとして知られるようになりました。
ディエゴ・マラドーナ クラブ実績 | |
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1976年 | |
国 | アルゼンチン |
所属クラブ名 | アルヘンティノス |
出場 | 11 |
得点 | 2 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | – |
1977年 | |
国 | アルゼンチン |
所属クラブ名 | アルヘンティノス |
出場 | 49 |
得点 | 19 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | – |
1978年 | |
国 | アルゼンチン |
所属クラブ名 | アルヘンティノス |
出場 | 35 |
得点 | 25 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | – |
1979年 | |
国 | アルゼンチン |
所属クラブ名 | アルヘンティノス |
出場 | 27 |
得点 | 26 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | FIFAワールドユース選手権最優秀選手 アルゼンチン・リーグ得点王 南米年間最優秀選手賞 記者選出アルゼンチン最優秀サッカー選手賞 |
1980年 | |
国 | アルゼンチン |
所属クラブ名 | アルヘンティノス |
出場 | 45 |
得点 | 43 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | アルゼンチン・リーグ得点王 南米年間最優秀選手賞 記者選出アルゼンチン最優秀サッカー選手賞 |
1981年 | |
国 | アルゼンチン |
所属クラブ名 | ボカ |
出場 | 40 |
得点 | 28 |
チームタイトル | アルゼンチンリーグ優勝 |
個人タイトル | 記者選出アルゼンチン最優秀サッカー選手賞 |
1982-83年 | |
国 | スペイン |
所属クラブ名 | バルセロナ |
出場 | 29 |
得点 | 19 |
チームタイトル | コパ・デル・レイ コパ・デ・ラ・リーガ スーペルコパ・デ・エスパーニャ |
個人タイトル | – |
1983-84年 | |
国 | スペイン |
所属クラブ名 | バルセロナ |
出場 | 23 |
得点 | 15 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | – |
1984-85年 | |
国 | イタリア |
所属クラブ名 | ナポリ |
出場 | 36 |
得点 | 17 |
チームタイトル | グエリン・ドーロ |
個人タイトル | – |
1985-1986年 | |
国 | イタリア |
所属クラブ名 | ナポリ |
出場 | 31 |
得点 | 13 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | FIFAワールドカップ最優秀選手 記者選出アルゼンチン最優秀サッカー選手賞 記者選出アルゼンチン最優秀スポーツ選手賞 ワールドサッカー世界年間最優秀選手 オンズドール |
1986-1987年 | |
国 | イタリア |
所属クラブ名 | ナポリ |
出場 | 41 |
得点 | 17 |
チームタイトル | コッパ・イタリア セリエA |
個人タイトル | オンズドール |
1987-1988年 | |
国 | イタリア |
所属クラブ名 | ナポリ |
出場 | 39 |
得点 | 21 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | セリエA得点王 |
1988-1989年 | |
国 | イタリア |
所属クラブ名 | ナポリ |
出場 | 50 |
得点 | 19 |
チームタイトル | UEFAカップ |
個人タイトル | – |
1989-1990年 | |
国 | イタリア |
所属クラブ名 | ナポリ |
出場 | 36 |
得点 | 18 |
チームタイトル | セリエA スーペルコッパ・イタリアーナ |
個人タイトル | – |
1990-1991年 | |
国 | イタリア |
所属クラブ名 | ナポリ |
出場 | 25 |
得点 | 10 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | – |
1992-1993年 | |
国 | スペイン |
所属クラブ名 | セビージャ |
出場 | 29 |
得点 | 7 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | – |
1993-1994年 | |
国 | アルゼンチン |
所属クラブ名 | ニューウェールズ |
出場 | 3 |
得点 | 0 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | – |
1995-1996年 | |
国 | アルゼンチン |
所属クラブ名 | ボカ |
出場 | 11 |
得点 | 3 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | – |
1996-1997年 | |
国 | アルゼンチン |
所属クラブ名 | ボカ |
出場 | 13 |
得点 | 2 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | – |
1997-1998年 | |
国 | アルゼンチン |
所属クラブ名 | ボカ |
出場 | 11 |
得点 | 11 |
チームタイトル | – |
個人タイトル | – |
通算 | |
出場 | 588試合 |
得点 | 307得点 |
ディエゴ・マラドーナ 代表実績
「本当は手で触れたのだが、神の思し召しによって許された。」という趣旨の発言があったことから「神の手」として瞬く間に世界中に広まりました。※動画0分13秒付近
またこの試合ではマラドーナのもう1つの伝説「5人抜き」も生まれています。
動画の1分10秒付近からのプレーですが、マラドーナがボールをもらうと、巧みなボールコントロールで前を向いてそのままイングランドの選手をかわして独走。
吸い付くようなボールタッチで、最後はゴールキーパーすらも鮮やかに抜いてゴールへ流し込んでいます。このときのプレーに注目をしてみると、効き足である左足しか使っていないのが分かりますでしょうか。
年 | 試合数 | 得点 | 主な試合、タイトルなど |
---|---|---|---|
1977年 | 3 | 0 | |
1978年 | 1 | 0 | |
1979年 | 8 | 3 | FIFAワールドユース選手権優勝 FIFAワールドユース選手権最優秀選手賞 |
1980年 | 8 | 7 | |
1981年 | 2 | 1 | |
1982年 | 10 | 2 | |
1985年 | 10 | 6 | |
1986年 | 10 | 7 | FIFAワールドカップ優勝 FIFAワールドカップ最優秀選手 |
1987年 | 6 | 5 | |
1988年 | 3 | 1 | |
1989年 | 7 | 0 | |
1990年 | 10 | 1 | |
1993年 | 4 | 0 | アルテミオ・フランキ・トロフィー |
1994年 | 7 | 2 | |
通算成績 | 91 | 34 |
小柄な体格ながらサッカーファンを魅了する華麗なサッカー
身長が大きければ有利となりやすいスポーツの世界。これはサッカーにおいてもある程度その傾向が見られます。しかしこのマラドーナは160センチ代半ばとむしろ小さな体格です。
そんな小柄な男がテクニックとスピードで相手を手玉に取り、ワールドクラスの実力を世に見せつけてくれました。
1982年から1994年のFIFAワールドカップに4大会連続で出場。うち16試合でアルゼンチンのキャプテンを務めるなど、国民からの信頼も厚いまさにサッカーレジェンド。
小柄でもトレーニングと練習でサッカーは上手くなると、全世界の小柄なサッカー少年たちに勇気と希望を今も与えてくれているのかもしれませんね。